ヤッピータレントブック

島田洋七のプロフィール

掲載リクエスト

島田洋七の詳細情報

島田洋七の画像

島田洋七

読み仮名 しまだようしち
タレントジャンル マルチタレント
誕生日 1950年02月10日(年齢74歳)
血液型 O型
  • 関連タレント
  • B&B

島田洋七について

島田洋七は広島市東区牛田出身の漫才師、タレント、作家である。漫才コンビB&Bのひとり。本名は徳永昭広(とくながあきひろ)。島田オフィス、オスカープロモーション所属。

1980年代、漫才ブームのパイオニアとなり、月給1億円の時代から、人気急降下、そして現在ベストセラー作家と、ジェットコースターの様な激動の人生を歩むお笑い芸人である。ビートたけしの親友としても知られる。なお、下の名前の読みは「ようひち」との表記説が多く言われているが、本人にいわく「どっちでもいいが分かりやすい『ようしち』が良い」との事。
1957年、小学校2年生8歳の時、佐賀の祖母に預けられ、中学を卒業するまでの8年間、更に極貧の生活を送る。このときの体験が「佐賀のがばいばあちゃん」として後に出版されベストセラーとなり、映画化・ドラマ化された。
現在放送作家として活動している団順一と1972年初代B&Bを結成、島田洋一名で漫才師としてデビュー。このときはツッコミ担当だった。
この初代B&Bは相方の団の失踪で消滅。1973年上方よしお(当時の芸名は上方真一)と二代目B&Bを結成。天性とも言えるスピード感溢れるしゃべりとセンスは、関係者の間で高い評価を受け、数々の賞を受賞。
1975年、洋七は東京進出を考えるが、真一(よしお)が「怖い」と尻込みし解散。漫才は諦めようかと悩んだが、花月劇場の進行役をしていた洋八と三代目をB&Bを結成。「七転び八起き」または「七転八倒」から、それぞれ洋七・洋八に改名。
1979年、29歳で東京行きを決行した。吉本興業の幹部・芸人仲間からの反対を押し切って、強行で反旗を翻したため、吉本興業には解雇を言い渡される。
一度は解雇された吉本に頭を下げて復帰を許され、生涯一漫才師を誓い、洋八と再びB&Bを復活させ、こつこつと仕事をこなす。
2007年8月末をもって吉本興業を再度離籍することが発表された(2007年4月10日)。その原因としては、「がばい」関連の収益について吉本側と対立したためとされた。なお、完全に吉本との契約関係が終了したのは2007年12月9日である。

島田洋七の関連商品

Twitterではニュース・出演番組に合わせてツイートしています
Twitterhttps://twitter.com/yapy_talent
記事の一部はWikipediaより引用もしくは改変したものを掲載している場合があります。

ページトップへ