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鬼塚勝也

読み仮名 おにづかかつや
タレントジャンル 元プロボクサー
誕生日 1970年03月12日(年齢54歳)
血液型 -

鬼塚勝也について

鬼塚勝也は元プロボクサーである。本名は鬼塚 隆(おにづか たかし)。福岡県北九州市出身。WBA世界スーパーフライ級王者として5度の防衛に成功した。愛称は「SPANKY(スパンキー)K」。

プロデビュー時は本名の"鬼塚隆"であったが、「どんな形でも勝つことにこだわりたい」との願いから、リングネームを"隆"から"勝也"に改めた。端整な顔立ちで、女性ファンも多かった。

中学2年時に空手を始め、中学3年時に地元のボクシングジムに入門。本格的にボクシングを始める。
豊国学園高等学校1年時、福岡県高校モスキート級で優勝。2年時、インターハイライトフライ級王者になった。3年時にはフライ級で2階級制覇を目指すが、準決勝で徳島県立海南高等学校の川島郭志に敗れた。

近畿大学への推薦入学が内定していたが、WBC世界ストロー級初代王者になって間もない井岡弘樹とのスパーリングで打ちのめされ、高卒でのプロ入りを決意。
高校2年時の修学旅行も参加せず、単身上京。自らの足で東京都内のボクシングジムを回る。この時、協栄ボクシングジムの古口哲トレーナーと意気投合し、後に同ジムに入門することになる。

プロデビュー後、タレントの片岡鶴太郎をマネージャーに迎える。
ピューマ渡久地、辰吉丈一郎と共に「平成の三羽烏」と称され、後楽園ホールの客席を埋める熱狂的ムーブメントを起こし1990年代初期の日本プロボクシング界を彩った。

WBA世界スーパーフライ級王座19度防衛のカオサイ・ギャラクシー(タイ)が引退し、空位となった同級の王座決定戦でタノムサク・シスボーベー(タイ)と争い、僅差の判定勝ちを収め、世界王者となった。

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