川本喜八郎
読み仮名 | かわもときはちろう |
タレントジャンル | マルチタレント |
誕生日 | 1925年01月11日(年齢99歳) |
血液型 | - |
川本喜八郎について
川本喜八郎はアニメーション作家、人形作家である。東京都出身。勲四等旭日小綬章(1995年受章)。日本アニメーション協会会長(1996年〜)。日本を代表する人形アニメ監督である。小学校時代から人形を作りはじめていた。 旧制横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)建築学科を卒業後、1946年、東宝撮影所美術部に入社。1947年、「今ひとたびの」(五所平之助監督)、「戦争と平和」(山本薩夫・亀井文夫共同監督)「女優」(衣笠貞之助監督)に松山崇らをサポートする美術スタッフとして参加する。
飯沢匡が編集を担当する「アサヒグラフ」「玉石集」(1953年に単行本として出版された)の人形を使った社会風刺写真制作に関わり、初めてプロとして人形をつくる。
1950年に「暁の脱走」(谷口千吉監督)を最後に東宝を解雇されると、フリーの人形美術家となり、飯沢匡の下で人形を使った出版物の仕事に取り組むようになる。
1953年、飯沢匡、持永只仁、土方重巳、カメラマンの隅田雄二郎らと「人形芸術プロダクション」(NGプロ)を立ち上げた。
「人形芸術プロダクション」の仲間とともに、1953年、「アサヒビール」のキャラクター「ほろにが君」を主人公とした企業PR映画「ほろにが君の魔術師」(日本で初めての人形アニメーションとされる)、1956年「ビールむかしむかし」を制作。
1958年、人形を利用したテレビCMや広告、絵本などの制作会社シバプロダクション設立、常務取締役となる。
1962年にシパプロダクションを退社した後、1963年、自費で単身チェコスロバキアに渡りトルンカに師事する。その後ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ソ連、中央アジアと各国を渡り歩きロマン・カチャーノフとも親交を深める。
2007年3月25日、長野県飯田市に「川本喜八郎人形美術館」がオープン。製作に携わった作品の人形が随時入れ替えられて展示されている。
2010年8月23日、肺炎のため死去した。85歳。
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