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二代目引田天功のプロフィール

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二代目引田天功

読み仮名 ひきたてんこう
タレントジャンル イリュージョニスト
誕生日 -
血液型 -

二代目引田天功について

引田天功はイリュージョニストである。別名プリンセス・テンコー (PRINCESS TENKO)。日本奇術協会国際交流委員長。初代引田天功の死後、1980年12月15日に襲名した。

「UFOに乗って地球に降り立った」とアメリカのプロフィールでは紹介されている。公式プロフィールでは、1995年より全てのパーソナル・データが不詳、又は未公開になっている。

初代引田天功に1976年から師事。これは親類が初代の事務所の社長だった縁からである。1977年に初代引田天功の代役で「空中ケーブルからの大脱出」(日本テレビ)を行った後、1978年6月21日に『朝風まり(あさかぜ まり)』の芸名でデビュー。キャンディーズとピンクレディーの制作スタッフがフジテレビとタッグを組み、マジックを披露しながら歌う異色のアイドル歌手としてデビューさせ、しばらく歌手として活動(デビューシングルは「ザ・マジック」、セカンドシングル「くせになるから」)。

初代の死去後、初代の後援会の要望で1980年12月15日に二代目を襲名、先代の遺志を受け継いで、命がけのイリュージョンを展開するようになる。世界各地で公演を展開し「プリンセス・テンコー」の愛称で知られるようになる。朝風まり時代から後援会長は、佐川急便創業者であり会長であった佐川清である。

契約では「引田天功」と「プリンセス・テンコー」は別のキャラクターとして設定されており、演じるマジックやイリュージョンも全く別々のものである。彼女曰く、引田天功は日本人だが、プリンセス・テンコーはアメリカ出身のアメリカ人と言う設定が与えられているからだという。引田天功は喋らない設定であるため、テレビ番組にはプリンセス・テンコーとして出演する場合が多い。後者は「プリンセス天功」と表記されることもままある。

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