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渡邉一久

読み仮名 わたなべかずひさ
タレントジャンル スポーツ選手
誕生日 1983年05月18日(年齢40歳)
血液型 -

渡邉一久について

渡邉一久はK-1ファイター、元プロボクサーである。第52代日本フェザー級チャンピオン。山梨県南都留郡忍野村出身。身長167cm。元角海老宝石ボクシングジム所属。山梨県立富士河口湖高等学校卒。

親の勧めもあって幼少時より野球に没頭し、甲子園出場経験のある強豪山梨県立吉田高等学校を受験するが、定員オーバーのため吉田総合選抜で富士河口湖高校に振り分けられ、野球への情熱を失う。入学後、ボクシング部を創設してもらい、ネクサスボクシングジムにも所属しアマチュアで経験を積んだ。
2002年11月20日、プロデビュー戦を1RKO勝利で飾る。
2005年4月18日、8勝2敗(桜井敦史に2度の負け)で日本フェザー級2位の竜宮城に挑み、10R判定で勝利し日本ランク入り。
2006年1月21日、その後2連勝で日本ランキング2位で同じジムの榎洋之が返上し空位の、日本フェザー級王者決定戦を同級1位阿部元一と行う。1Rに3度ダウンを奪いKO勝ちでタイトル奪取に成功する。同時に粟生隆寛を防衛戦に指名するが、叶わなかった。
2006年10月14日、小林生人を下し防衛1度の後、榎と10R判定まで持ち込んだ梅津宏治と防衛戦。1Rから抱え上げ、投げ飛ばしなど荒れた展開となり、2度の反則による減点(4R後頭部への打撃、7Rバッティング)も響き、10R判定で敗れる。この試合の反則により、所属ジムから1年間試合出場停止処分を受け、JBCは、前王者に対して異例となる日本ランキング外とした。
2007年5月24日、反則を行ったら即タオルを投げると釘を刺されての復帰戦を8R判定で勝利する。
2007年9月26日、セーンチャルン・ウォースラポンを3RKOで下し日本ランキング2位に復帰も、試合前に痛めていた左足首を試合後の練習中に靭帯断裂し11月17日の坂本博之・本望信人引退記念興行での試合予定が流れてしまう。
2008年2月11日、自身のブログにて引退宣言を出し、総合格闘技への転身。プロボクシング戦績18戦15勝(8KO)3敗
2009年2月23日、国立代々木競技場第一体育館で行われるK-1 WORLD MAX 2009 〜日本代表決定トーナメント〜に出場。

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