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富司純子のプロフィール

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富司純子

読み仮名 ふじすみこ
タレントジャンル 女優
誕生日 1945年12月01日(年齢78歳)
血液型 O型

富司純子について

富司純子は女優である。父は東映のプロデューサーで、「ヤクザ映画の首領(ドン)」と呼ばれた俊藤浩滋。本名は寺島 純子(てらしま じゅんこ)、旧姓は俊藤。旧芸名は藤 純子(ふじ じゅんこ)。

1962年、京都女子高校2年生のときによみうりテレビの歌謡番組『ハイハイ、マヒナです』のカバーガールとして姉・允子と共に出演。翌1963年、父の勤務先である東映京都撮影所に見学に行ったところをマキノ雅弘監督にスカウトされ、「藤 純子」(ふじ じゅんこ)の芸名をもらい、『八州遊侠伝・男の盃』で千葉真一の恋人役でデビュー。同年、朝日放送テレビのコメディー『スチャラカ社員』の若い女給役で注目を浴びる。

時代劇、現代劇、任侠物に多数出演後の1968年、山下耕作監督の『緋牡丹博徒』で初主演し、大ヒット。主人公「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子役で人気を集め、シリーズ化され当代一の人気女優になった。中でも菅原文太と共演した『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970年、加藤泰監督)は傑作として今も語り継がれている。『緋牡丹博徒シリーズ』の他に『日本女侠伝シリーズ』、『女渡世人シリーズ』もヒットし、鶴田浩二、高倉健と並ぶ東映の3大スターの1人となる。

1972年、NHKの大河ドラマ『源義経』(1966)で共演した歌舞伎俳優の四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)と結婚し、引退を表明。
1974年、「寺島 純子」の本名でフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会に就任し、「司会者」として芸能界に復帰。
1982年には、NHK『勇者は語らず』で女優としても復帰。1989年には、『あ・うん』で映画への出演を再開。この際「白紙の新人女優としてスタートしたい」との意思から芸名を「富司 純子」に改めた。1998年『おもちゃ』で26年ぶりに映画に主演、各主演女優賞に輝く。

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