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手塚貴子

読み仮名 てづかたかこ
タレントジャンル 元女子サッカー選手
誕生日 1970年11月06日(年齢53歳)
血液型 -

手塚貴子について

手塚貴子は栃木県宇都宮市出身の元女子サッカー日本代表選手、サッカー指導者である。現役時代のポジションはフォワード。日本大学卒。2007年度、日本サッカー協会公認A級コーチライセンスを取得。U-20日本女子代表コーチやナショナルトレセンコーチも務めた。

中学生のころ読売ベレーザに入団し15歳で日本女子代表に初選出される。

日本女子サッカーリーグでは優勝3回に貢献。第1回日本女子サッカーリーグの開幕戦(1989年9月9日)では高倉麻子によるリーグ第1号ゴールを生み出すセンタリングをあげ、第3回日本女子サッカーリーグ(1991年)では最優秀選手(MVP)、最多得点(29点)、最多アシスト(31ポイント)の3部門を独占する快挙を遂げた。また皇后杯全日本女子サッカー選手権大会では優勝4回に貢献し、第10回大会(1989年)でMVPとなった。

代表ではアジア選手権に4回出場し、第11回アジア大会(1990年)で銀メダルを獲得。第1回FIFA女子世界選手権大会にも出場するなど40試合で19得点の活躍であった。

1992年の第4回日本女子サッカーリーグ後、就職により引退し、宇都宮市で少女チームの指導にあたっていたが、1996年の第7回日本女子サッカーリーグ後期から現役に復帰。
1999年のシーズンをもって引退後はサッカースクールなどで指導にあたり、のちにはNPO法人ブランカを結成。栃木県スポーツ振興審議会委員も務めている。2004年6月20日には日本サッカー協会特任理事に就任した。

2007年2月、代表を務める栃木県女子サッカーリーグ1部所属のブランカFCが、Jリーグ・栃木サッカークラブの女子チーム「栃木SCブランカ」となった。同チームでは2010年まで監督を務めた。

2011年、栃木SCアカデミーセンターコーチに就任。同年11月、AFC U-16女子選手権とAFC U-19女子選手権で日本を優勝に導いたことにより、アジア最優秀女子コーチに選ばれた。

2013年シーズンから浦和レッドダイヤモンズ・レディースの監督に就任するが、体調不良により同年6月に辞任。

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