森田和郎について
森田和郎はコンピューターゲームのプログラマである。代表作は『森田将棋』。1955年生まれ。1973年に東京工業大学有機化学科へ入学。留年して2年で東京工業大学を中退。富山県で1年を過ごした後、埼玉医科大学に入学した。
1976年に発売された日本電気(NEC)のワンボードマイコンTK-80に大学2年で熱中し、オセロのプログラムを作成。PC-8001を購入して、1982年には『月刊アスキー』で定期開催されていた思考ゲーム対決大会「マイクロオセロリーグ」に第3回から出場。優勝して、アスキーからオセロゲームとしてコンパクトカセットでパッケージとして発売される。当時はスタープログラマーとして知られていた。
1982年に『森田のバトルフィールド』でエニックスの第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストにエニックスから誘われて、1ヶ月で作成したウォー・ゲーム「森田のバトルフィールド」で応募。大賞にあたる賞金100万円の最優秀プログラム賞を受賞し、1983年2月には市販された。
この成功で1983年4月に埼玉医大に籍を置いたまま、株式会社ランダムハウスを設立し、代表取締役となる。この頃、エニックスの依頼で当時アーケードゲームで人気で自身も熱中した「ゼビウス」を目標にした「アルフォス」を半年で開発しており、同年6月にリリースした。
オセロ(リバーシ)に続いて将棋なども思考ルーチンを開発し、2年間かけて1985年8月に「森田和郎の将棋」を発売。初期のコンピュータ将棋の強豪(コンピュータ将棋選手権第1回〜第6回の全てでベスト3入り、第2回では優勝)として知られる。ソースコードを示した詳細な解説書『思考ゲームプログラミング ― オセロゲームのアルゴリズムと作成法』を上梓するなど後進の教育もおこなった。
1987年、家庭用ゲーム機のファミリーコンピュータ向けの「ミネルバトンサーガ ラゴンの復活」のプログラムの大部分を担当、自身初のロールプレイングゲームでもあった。ファミコンでは他にも1992年の「ジャストブリード」を開発した。
2000年代に入ってからも「ドリームライブラリ」や「サムライスピリッツ零」などのプログラムを担当するほか、毎日コミュニケーションズ(現・マイナビ)のネット将棋事業にも関わっていた。
2012年7月27日に死去。
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