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宮田征典

読み仮名 みやたゆきのり
タレントジャンル 元プロ野球選手
誕生日 1939年11月04日(年齢84歳)
血液型 -

宮田征典について

宮田征典は群馬県前橋市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者である。日本野球界におけるリリーフ専門投手の草分け的存在で「8時半の男」と呼ばれた。種部儀康は義兄。

中学でいとこに誘われたことがきっかけで野球を始める。群馬県立前橋高等学校では王貞治のいる早稲田実業と対戦して完封勝ちし、その名が知られることになる。日本大学へ進学し、東都大学リーグでは通算54試合登板、24勝16敗、防御率1.56、194奪三振。最高殊勲選手に2度選ばれた。1962年に読売ジャイアンツに入団。

心臓に疾患を持つために先発投手として長いイニングを投げることが出来ず、当時の藤田元司投手コーチの勧めもありリリーフへ専念。後楽園球場の場内アナウンスを担当していた務台鶴が、宮田が登板する時間帯が午後8時30分(8時半)前後であることに気づき、「宮田さんは、よく8時半頃に登板するのね」と発言したことがきっかけになり、「8時半の男」との渾名が付けられた。

1966年以後は1965年の無理がたたり肩・肘を相次いで故障。肝機能障害も患い1969年限りで引退。引退後は卓越した投球理論や育成法が評価され、巨人をはじめ日本ハム、西武、中日などの球団で長く投手コーチを務める。

2006年7月13日、肝不全のため前橋市内の病院で死去。66歳没。

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