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邱永漢

読み仮名 きゅうえいかん
タレントジャンル 経済評論家・作家
誕生日 1924年03月28日(年齢100歳)
血液型 -

邱永漢について

邱永漢日本および台湾の実業家、作家、経済評論家、経営コンサルタント。
株式会社邱永漢事務所代表取締役。
旧本名は邱炳南、帰化後の本名は丘永漢。初期の筆名は邱炳南および丘青台。株の名人で「金儲けの神様」と呼ばれた。

1943年 10月東京大学経済学部入学。「文学部ではなく経済学部を選んだことは学校のクラスメイトや教師たちを驚かせた。
1945年 東京大学経済学部を卒業後、東京大学大学院で財政学を研究。
大学院時代に東大社会科学研究会(のちの全学連の母体)を立ち上げ、当時まだ珍しかった世論調査を実行した。
1946年 大学院を中退して台湾に戻り、土建会社経営や中学の英語教師や銀行のシンクタンク研究員を経験。
1948年 台湾独立運動に関係して中国国民党政府から逮捕状が出たため香港に亡命。
このとき、物資欠乏の日本に郵便小包で商品を送る事業を始めて成功を収めた。
1950年 月収が当時の金で100万円に達し、香港で高級マンションに住まい、運転手つきの自家用車を乗り回す身分となった。
このころ、友人の窮状を題材に処女作「密入国者の手記」を執筆。
1954年1月 西川満の紹介により「密入国者の手記」が『大衆文芸』1月号に掲載。「密入国者の手記」が山岡荘八や村上元三から評価され、『大衆文芸』誌で作家デビュー。4月、事業が傾いたのを機に、娘の病気の治療と文学修行を兼ね、日本に移住。同年12月、檀一雄と佐藤春夫の後押しで『濁水渓』を現代社から上梓、直木賞候補となる。
1955年に小説『香港』で第34回直木賞を受賞。
外国人として最初の直木賞受賞者である。
2012年5月16日、東京都内の病院で心不全のため死去。88歳没。

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