寺尾聰について
寺尾聰は俳優、歌手、ベーシスト、シンガーソングライターである。神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。俳優・宇野重吉の長男。サングラスをかけ、ニヒルな表情がトレードマーク。ほっぺにホクロが二つあることからボッペというあだなもある。和光学園、法政大学第二高等学校、文化学院卒業。所属事務所はホリプロダクション→石原プロモーション→寺尾音楽事務所(自らの個人事務所)。1964年に、奥島吉雄らとカレッジ・フォーク・グループ「ザ・サベージ」を結成し、ベースギターを担当。新興の芸能事務所・ホリプロダクションに所属し、1966年に『いつまでもいつまでも』でレコードデビュー。大ヒットするが、すぐにグループを脱退。
1968年、三保敬太郎を中心としてザ・ホワイト・キックスというグループ・サウンズに参加。シングルを1枚出して解散。
同年には、石原裕次郎製作・主演の映画『黒部の太陽』で俳優デビュー。これを機に、裕次郎の門下となり、石原軍団の若手有望株として、主にテレビドラマに出演。青春ものドラマなどで二枚目半的な役柄を演じることが多かった。
1981年にヨコハマタイヤのCM曲だった『シャドー・シティ』に続き『ルビーの指環』が大ヒットし、『ルビーの指環』は第23回日本レコード大賞・FNS歌謡祭'81グランプリを受賞した。さらに、TBS『ザ・ベストテン』では、『ルビーの指環』『シャドー・シティ』『出航 SASURAI』が3曲同時にベストテンにランクインされ、『ルビーの指環』12週連続1位の栄誉を讃えた真紅の記念シートも設置された。
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