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高津臣吾

読み仮名 たかつしんご
タレントジャンル スポーツ選手
誕生日 1968年11月25日(年齢55歳)
血液型 -

高津臣吾について

高津臣吾は広島県広島市南区出身のプロ野球選手(投手)である。

広島県立広島工業高等学校3年の時、春夏通じて甲子園に出場したが、控え投手だったため登板機会はなく野手として出場した。亜細亜大学では、当時の大学野球を代表する左腕、小池秀郎に次ぐ2番手の投手であった。東都大学リーグ通算40試合登板し11勝15敗、防御率2.34、140奪三振。
1990年のドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。

2004年、FA権を行使し、MLBのシカゴ・ホワイトソックスに入団。
2005年、救援失敗が続いた上、味方投手の好調に押し出されてホワイトソックスを自由契約に。その後、ホワイトソックスとマイナー契約したものの、8月1日に解雇された。8月12日にニューヨーク・メッツとマイナー契約し、後にメジャー昇格を果たすが、オフにFAとなり退団。メジャーリーグでプレーした2年間で27セーブを記録した。

2006年、盟友古田敦也が監督に就任したこともあり、入団テストを経て3年ぶりにヤクルトに復帰。
最終戦翌日の2007年10月10日、戦力外通告を受けた。

2008年1月18日、シカゴ・カブスと1年間のマイナー契約。春季キャンプに招待選手として参加し、3年ぶりのメジャー復帰を目指すが、結果を残せず3月11日に戦力外通告を受ける。

2008年6月、韓国のウリ・ヒーローズと契約。韓国プロ野球では4人目の日本人選手となった。12月17日、外国人野手を獲得する球団方針のためヒーローズを退団。

2010年1月、台湾の興農ブルズと契約。11月26日、興農ブルズから契約打ち切りを告げられたことを発表。

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