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八代亜紀

読み仮名 やしろあき
タレントジャンル 演歌歌手
誕生日 1950年08月29日(年齢73歳没)
血液型 B型

八代亜紀について

八代亜紀は女性演歌歌手、画家である。熊本県八代市出身。読みは違うものの、芸名は出身地の八代(やつしろ)市から採っている。本名は増田 明子、旧姓は橋本。

中学卒業後、地元熊本のバス会社九州産業交通(現 九州産業交通ホールディングス)のバスガイドとして勤務した後、15歳で父親の反対を押し切り上京。銀座のクラブ歌手となり、スタンダードやポップスなどを歌った。

1971年、テイチクより「愛は死んでも」でデビュー。オーディション番組YTV『全日本歌謡選手権』に出場、10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンに輝く。
1973年の「なみだ恋」が120万枚の大ヒット。その後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」など女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発。また、1979年には新境地を開拓した初の男歌「舟唄」を発表し大ヒット、翌1980年に発表した「雨の慕情」でレコード大賞を受賞。これら2曲は「港町絶唱」と共に、阿久悠と浜圭介そして竜崎孝路のコンビによる哀憐三部作と呼ばれた。演歌歌手にしては稀な連続ヒットと国民的ヒット曲により、女性演歌歌手として不動の地位を築く。
1982年、センチュリーレコードに移籍し「海猫」「日本海」「恋瀬川」などを発表。そして1986年、日本コロムビア(現:コロムビアミュージックエンタテインメント)に移籍し、現在に至る。

歌手活動だけにとどまらず、画家としてもフランスの「ル・サロン」展に5年連続入選、日本の芸能人として初の正会員になるなど活躍していた。

2023年9月12日、膠原病の一種であり指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎のため年内の活動を休止することを発表した。
同年12月30日、逝去。73歳没。訃報は明けて2024年1月9日、所属事務所により公表された

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