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深作欣二

読み仮名 ふかさくきんじ
タレントジャンル 映画監督・脚本家
誕生日 1930年07月03日(年齢93歳)
血液型 -

深作欣二について

深作 欣二は、日本の映画監督・脚本家。愛称はサクさん。
茨城県水戸市出身。
茨城大学教育学部附属中学校を卒業。
水戸第一高等学校卒業後、日本大学藝術学部卒業。
妻は中原早苗。長男は深作健太。

1953年(昭和28年)に東映へ入社。
1961年(昭和36年)、千葉真一の初主演作品となる『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で監督デビュー。
千葉とはこののち17作品でコンビを組み、ヒットを連発していく。『風来坊探偵』シリーズに続いて、監督した映画『ファンキーハットの快男児』シリーズ、1966年の映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』は、テレビドラマ『キイハンター』 (1968年 - 1973年) の土台となった作品で、深作自身『キイハンター』の企画に関わり、第1話を演出した。

1970年(昭和45年)、日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督を黒澤明が降板したため、後任となった舛田利雄から懇願され共同監督を引き受けた。
1973年(昭和48年)から公開された『仁義なき戦い』シリーズは、邦画史に残るヒットを記録し、実録映画の先駆けとなった。
テレビドラマ『傷だらけの天使』 (2本演出)、『必殺シリーズ』[4]、映画『柳生一族の陰謀』、『復活の日』、『魔界転生』、『蒲田行進曲』、『バトル・ロワイアル』など、発表する作品の多くが大ヒット・話題作となった。
1997年(平成9年)、紫綬褒章受章。
2002年(平成14年)にはカプコンのプレイステーション2用ゲームソフト『クロックタワー3』のイベントCGムービーの監督を務め(モーションキャプチャ収録)、これが撮影終了まで関わった最後の作品となった。
2003年(平成15年)1月12日、前立腺癌の脊椎転移のため死去。72歳没。後に勲四等旭日小綬章を贈られた。
未完だった遺作『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』の監督は、プロデューサーを務めていた息子の深作健太に引き継がれた。

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